2026年2月19日(木)から2月23日(月)まで、「剣道を中心とした日本文化ツーリズム」が開催されました。これは天理大学 創立100周年記念事業の一環で実施されたものです。
本ツーリズムを企画したのは、天理大学体育学部・准教授の軽米 克尊(かるこめ・よしたか)先生。剣術流派の一つである「直心影流」を研究されています。
「天理大学の周辺には、非常に優れた文化財が数多くあります。剣道を中心にした文化ツーリズムを企画することで、それらの価値と魅力をより多くの人に伝えられるのではないか」と、企画を考案したそうです。
5日間にわたる講義と体験プログラムでは、軽米先生の専門である直心影流の歴史を軸に、その思想や技術がどのように現代剣道へと受け継がれてきたのかが丁寧に紐解かれていきました。
さらに、内容は竹刀や剣道具の成立背景、神話的な要素や、槍術といった他の武道との関連にまで広がっていきます。剣道という一つの武道が、いかに多層的な歴史と文化の中で形成されてきたのかを、身をもって体験できるものでした。
本レポートでは、この文化ツーリズムの全体像と各プログラムの内容を、数回に分けてご紹介していきます。
直心影流を中心に、剣道の成り立ちを知る
1日目の午前中は、現代剣道に大きな影響を与えた古流剣術「直心影流」を中心に、竹刀や剣道具がどのように生まれ、変化してきたのかを学びました。

私たちは「剣道」と聞くと、ごく自然に「稽古」を思い浮かべます。日々の稽古があってこそ剣道である、という感覚を持っている方も多いのではないでしょうか。
特に現代においては、稽古が中心となり、その中で必要に応じて剣道形の時間を設けるというスタイルが一般的です。もちろん、毎回欠かさず形稽古を行っている道場もあるかもしれませんが、全体としては「稽古主体」の構造になっていると言えるでしょう。
しかし、もともと剣術流派においては、技術は「形(かた)」によって伝承されてきました。

平和な時代が「稽古」を生んだ
江戸時代の初期は、戦国時代を生き抜いた武士たちがいました。彼らは実戦を経験しているため、「形」にリアリティを追求することは容易でした。
しかし、江戸時代も中ごろになると、平和な時代が続き、一度も戦闘を経験をしたことがない武士がほとんどになります。その結果、「形」は形骸化していきます。
これではいけない、という志ある剣術家があらわれ、竹刀をもって防具を身に着け、相手と自由に打ち合う「竹刀打ち込み稽古」が誕生。
相手と安全に打突をし合う道具として、竹刀が用いられるようになりました。

技の流行が、道具と技術を変えていく
竹刀の形は、現在の長さに至るまでに変遷を辿りました。昔の竹刀は「袋撓(ふくろしない)」と呼ばれ、一本の竹の先を細かく裂き、その上から革の袋をかぶせたものでした。
本ツアーの1日目の講義では、その形に近い竹刀を中部学院大学の坂本太一先生が実際に持ってきてくださいました。中には、長さが四尺二寸ある竹刀や全体的に太い竹刀があり、現代の竹刀とはかなり印象が異なりました。
現在、私たちが使っている竹刀は、四つの竹を組み合わせて作られています。この竹刀は江戸時代、柳河藩の大石進氏によって考案されたと言われています。

大石進は身長約180cmほどの大柄な人物で、約160cmほどの長い竹刀を使った片手突きを得意としていました。江戸の名だたる剣士たちと他流試合を行い、連戦連勝したと言われています。
当時の平均身長は150cm前後。高身長の剣士が、長い竹刀で片手突きを繰り出す姿は、江戸の剣士たちにとって衝撃だったはずです。その結果、江戸では長竹刀と突き技が大流行しました。
しかし、突き技を多用すると、袋撓ではすぐに折れてしまいます。
そこで頑丈な四ツ割竹刀を大石進が考案したと考えられています。
また当時の剣術では歩み足が一般的でしたが、長竹刀を歩み足で扱うと剣先がぶれてしまうため、剣先を安定させる「送り足」が使われるようになったそうです。
講義では、これを「技の流行が道具や技術の変化を生んだ典型的な例」と説明されていました。これは現代の剣道にも通じることなのだろうと感じます。

使う人や技のニーズで変化してきた竹刀
講義の後で、坂本先生が様々な形の竹刀を実際に見せてくださいました。竹刀一つをとっても形には変化があり、中には外国人向けに作られた竹刀も。
使う人や技のニーズによって道具が変わっていくものなのだと感じられます。
参加した外国人剣士にも、実際に見て、触って、感じてほしくて、講師の軽米先生は、このような形を企画したそうです。
ツアーの4日目には、伊賀の竹刀職人さんを訪ねて、実際にどうやって竹刀が作られているのかも見学しました。





剣道具が使用され始めたのは、江戸時代の中頃
「竹刀打ち込み稽古」を考える際、欠かせないのが剣道具です。
剣道具がいつ出現したのか?
実は、よくわかっていないそう。
これまでは直心影流の長沼四郎左衛門国郷が、江戸中期、1711年~1716年頃に発明したと言われていましたが、実際にはそのころにはすでに使用されていたようです。
防具の使い方も流派によって異なっており、小手だけを使ったり、面と小手を使ったり、様々でした。
幕末になって他流試合が盛んに行われるようになると、現在の剣道具とほぼ同様の防具が一般化したそうです。
例えば胴をつけない流派が試合で他流に胴を打たれれば当然、胴を着けるようになります。こうして、甲手・面・胴・垂が揃い始めました。
時代によって変化してきた剣道具の形
江戸時代から道具の形態自体はほとんど変わっていないそうですが、例えば突き技が流行した時期は突垂が大きい防具だったそう。
幕末の高杉晋作が剣道具を持っている写真も講義中に見せていただいたのですが、今よりも突垂が大きい防具でした。
幕末期だけ、面金の角度が若干鋭角になっている資料もありました。
ここからは当時、顔を突く技術が流行していたことがうかがえます。
戦後、剣道の禁止が解禁され、代替の競技として始まった「しない競技」の防具も教室に展示されていました。
剣道というより、フェンシングの防具に近い形態です。剣道は武道、と言われていますが、戦後はスポーツとして再出発した歴史があります。それを展示された防具からもよく感じることができました。


竹屋流梅澤派二代目の剣道具師・梅澤広将さん
講義では、教室の前列に剣道具が展示されました。これらの剣道具を持ってきてくださったのが剣道具師・梅澤広将さんです。埼玉県熊谷市にお店を構え、面・甲手・胴・垂のすべてを一貫して製作されています。
1日目の午後は、梅澤さんによる剣道具に関する質疑応答の時間が設けられました。参加者から寄せられる具体的な疑問に対し、一つひとつ丁寧に答えていきます。
なかでも印象的だったのは、参加者が実際に使用している剣道具を手に取り、その場で状態を確認しながらメンテナンスを施していく場面でした。

剣道具の世界にも、「流派」と呼ばれる明確な系譜があります。梅澤さんは、その中でも竹屋流に連なる職人さんです。
竹屋流は竹本源次郎氏によって興されました。近代剣道の父と称される剣聖・高野佐三郎先生が、竹屋二代目・竹本辯蔵(べんぞう)氏に助言を与えながら剣道具の改良・開発に関わったことでも知られています。
梅澤さんのお父様は、その系譜にあたる鈴木謙伸氏に師事し、技術と思想の双方を受け継いできました。甲手や面といった特定の部位に特化するのではなく、面・甲手・胴・垂のすべてを一貫して製作できる総合的な技量を備えています。
その卓越した技能が高く評価され、厚生労働省より「卓越技能章(通称:現代の名工)」を、さらに内閣府より「黄綬褒章」を受章されています。

教えは今も大切に守られ、竹屋流梅澤派二代目である梅澤さんへ受け継がれています。
製作にあたっては、使い手が「どんな剣道をしたいのか」「どう在りたいのか」を丁寧にヒアリングし、その人にとって本当に必要な剣道具を形にしていくそうです。
直心影流「法定の形」体験と自由稽古
1日目の締めくくりは稽古でした。まずは直心影流の「法定(ほうじょう)の形」を約1時間体験し、その後、天理大学剣道部の学生も加わって自由稽古が行われました。
古流剣術の形は、日本剣道形とは大きく異なり、その動きや呼吸の違いは、参加者にとって非常に新鮮なものだったようです。法定の形を通して、現代剣道のルーツとなる身体感覚や技術体系に触れる時間となりました。

稽古が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていました。朝の座学で得た知識を、剣道具師の梅澤さんへの質疑応答や実物の竹刀・剣道具に触れることで具体的に理解し、さらに古流剣術の形を体験したうえで、稽古で1日を締めくくる。
学びと実践が有機的に結びついた、濃密な初日となりました。
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